勝浦の紹介
●勝浦市
房総半島の南東部、太平洋側(外房)に面しており、県庁所在地である千葉市から南約60kmに位置する。東京都心から75km圏内である。なお。東京からは東京湾アクアラインを利用するルートが最短であり、約75kmである。
広い市域の北東部を総野地区、北西部を上野地区、南東部を勝浦地区、南西部を興津地区と称する。これは昭和の大合併で「勝浦市」が成立する前の自治体の行政地区域と一致する。太平用沿岸部は国道128号線、内陸部は大多喜方面へと接続する国道297号線が縦貫している。
中心部の勝浦地区には勝浦漁港という銚子漁港に次ぐ県下2位の漁獲量のある漁港をもち、古くから漁師町として栄えた。市域の3分の2が山地となっており、人口が増加しにくく夷隅郡市内ではいすみ市の方が人口が約2倍ほど多くなっている。
勝浦市の名所
●勝浦朝市
天正の時代から400年以上続いている勝浦朝市は人々の暖かさに包まれています。長い年月育まれ、昔も今と変わらず人情味溢れる勝浦の顔として、また、市民の台所として日常の生活に溶け込んできた朝市は、勝浦を代表とする名所として多くの方に親しまれています。
朝市が始まったのは天正19年(1591年)。卯の年んに開かれたと言われ、当時の勝浦嬢主であった植村土佐守泰忠が農業、漁業の奨励とともに、勝浦根古屋(町の中心となるところ)でのみ農水産物の交換の場として開設したものと伝えられています。
当時は365日、いかなる天候でも朝市が開かれ、10日を区切りとして上本町、仲本町、下本町と場所を移動して開かれ、出店のために背負い篭、手車、大八車、馬車や牛車をつかい、多くの品物を運んでいたようです。
時代とともに勝浦は、にわかに発展し始めその様子は「勝浦三町江戸勝り」(三町とは現在の上本町、仲本町、下本町)と言われたといいます。
昭和30年代中頃からの自動車交通量の増加に伴い。場所を仲本町通りだけとした時期もありましたが、昭和62年11月から1日~15日までを「下本町通り」、16日から月末までを「仲本町通り」と分けて開くことになりました。
市内商店街の休日に合わせ、毎週水曜日と年始を休みとして現在に至り、いまでも週末になると60軒ほどの店が立ち並んでいます。
●御千代ヶ島(おちよがしま)
様々な伝説が残るお千代が島>詳しくはこちらをご覧ください BOSO LEGENDにリンクします